小説目次
!注意!
●月ニアでジェバニアという三角関係成分がやや含まれます
●ミュージカル版「オペラ座の怪人」の、ラストシーンのネタバレが含まれます
以上をご了解頂ける方のみ、読んでくださいませ……。

Phantom of the new world
薄暗く湿った倉庫の中で、青年は端正な顔を歪ませて語りかけた。

「さあ、ニア。どちらを選ぶ? 僕と共に新世界の神となるか、それとも……おっとここで、ゲストの登場だ」

青年──夜神月が手を挙げると、壁の一面をライトが照らし出し、新たなシルエットを浮かび上がらせた。そこには、苦しげにもがくような動作を繰り返す男が一人。首に巻きつけられた縄と格闘している。

「ジェバンニ!」

ここまで黙ったままだったニアの口から、彼の名が迸った。

月はくっくっと笑い声を漏らした。普段の理知的な振る舞いとは程遠い──彼を知っている人間が見れば驚くに違いない、歪な笑みだった。

「僕を選べば、こいつの命は助けてやろう。でも、それ以外を選ぶというのなら──ニア、お前もこの男もここまでだ」

「……ニア! あなたを助けるつもりで、尾行してきたのに……。どうか、私を助けようなどと、思わないでください……」 縄の圧力に精一杯抵抗しながら、ジェバンニは苦しげに台詞を吐き出した。

「はっ、あとどのくらい耐えられるかな?」

縄は、ぎりぎりと音を立てて巻き取られていった。蝋のように白くなっていく、ジェバンニの顔色。その命は月の裁量次第、風前の灯火であることがはっきりと感じられた。

「選べ、ニア! もう後戻りはできない! お前の選択で、この世界の運命が決まる!」

月は両手を掲げ、高らかに唄った。その瞳は狂気に囚われ、恐ろしいほどに光っている。

倉庫の中を、重苦しい沈黙が包んだ。

永遠のようにも思える時間だった。

「──なぜ──」

ニアが、ようやく口を開いた。

「なぜ、あなたが《キラ》だったんでしょうね。あのLに信頼され、共に《キラ》捜査を進めていたあなたが。日本捜査本部の要でもあり、周りから尊敬されていたあなたが──」

ニアは、そこまで話すと、悲しげにかぶりを振った。

「いえ、あなたを信頼で
きれば、と一番願っていたのは、私だったのかもしれません。だからこそ、今日ここに一人で来てしまったのですから……」

「騙されるな、ニア! そいつはあの《キラ》だ! あなたが心の底から憎み、Lの仇として追い続けていたあいつなんだ!」

ジェバンニが叫んだ。徐々に食い込み続ける縄のせいで、首にはかすかに血が滲んでいる。

「どうして──」

ニアは、いま一度問いかけた。

「あなたは、《キラ》にならねばならなかったのですか?」

「そんなこと、簡単じゃないか。《キラ》は僕でなければならなかったんだ!」

月は笑いかけた。スーツの内から、優雅な物腰で黒いノートを取り出しながら。

「僕がこの素晴らしいノートを拾ったのは、まったくの偶然だ。でも、新たな世界をここまで導いてきたのは、紛れもなく僕自身の力さ。強靭な精神力に、優れた頭脳、行動力、そして勇気──僕でなければ、このノートを使いこなすことなど不可能だった。他に誰がやれる? デスノートを使って、この腐った世の中を根本から作り変える大事業を」

「……たくさんの人の命を、犠牲にして?」

「言ってくれるね、ニア。あれは必要な行為だったんだよ。おかげでずいぶんと、世界は綺麗になった」

再び、辺りは緊迫した空気に支配された。白と黒。善と悪。全てを体現したかのような二人は、じっと向かい合っていた。

静かに、月が切り出した。

「そろそろ、遊びの時間は終わりだ。あと少しでも縄を引けば、あの男は間違いなく死ぬ。仮にお前が僕を殺そうとした場合も、結果は同じだ。ならばどちらを選べばいいのか──Lを継ぐ者ならではの、明晰な解答を期待しているよ」

胸ポケットから無線機を取り出す月。イヤホンからかすかなノイズが漏れ聞こえている。

「日本捜査本部もSPKも、僕たちがいないことに気がついてここに向かう頃だ──もっとも、ジェバンニがニアを追って真っ先に来るとは、想定外の出来事だったけどね。まあ、このゲームがより楽しいものになったことだし、これもまた一興だ」

ニアは、固く拳を握り締めると、ジェバンニのほうを振り向いた。何か必死に訴えようとしているジェバンニだが、もはや声を出すことすら叶わない。
「──わかりました。それでジェバンニが助かる、というのなら」

うつむいたまま、ニアは告げた。

月は、この上なく高貴な微笑みを作った。

「賢明だな。ならば、僕と共に行こう、ニア。新たなる《キラ》、僕の芸術を完全に体現する者の誕生だ」

「ニア! だめだニア! 私の命などどうでもいい、そいつを殺せ!」 少しだけ緩められた縄の下から、絶叫するジェバンニ。

「ジェバンニ、あなたの命など、どうでもいいと……?」 ニアが、震える声でつぶやいた。

「他人の命など、どうでもいい……それでは、この《キラ》と同じことなんですよ。なぜ、それに気づかないのですか、ジェバンニ!」

ニアの足元の床に、水滴が数粒したたり落ちていた。

「そして、私は哀れみます──夜神月、あなたを……」

「なんだ、僕に屈服した負け惜しみか?」

「いいえ、違います。あなたは本当は、自分を偽り続けてきた」

月は肩をすくめてみせた。

「──ふん、面白い。さっさとここを出て別のアジトへ向かうつもりだったが、もう少しだけ話に付き合ってやってもいいだろう。続けろ」

ニアは、さらに言葉を重ねる。

「普通は、この場所に私がのこのことやってきた時点で、すぐ殺すのが正解でしょう。ジェバンニにしても同じこと。なのに、わざわざ姿を見せ、さらに選択の機会までも与えた。不可解としか言い様がない行動です。私とジェバンニを殺さないのは、《キラ》は自分だということを見せ付けたかったからではありませんか?」

「そっちのほうが、面白いと思っただけだ」

「あなたは、邪魔者は必ず排除しなければ気がすまない性格だ──Lや、ワタリや、メロのように」

唇を噛みしめるニア。

「ところで、お父上──夜神総一郎が亡くなるまでの状況は、不自然でしたね。死神の目を持って突入するのは、最初の流れでは松田という刑事だったそうですね。少なくともあなたは、そう仕向けていた。妹さんの件もそうです。メロが夜神粧裕を誘拐した時、あなたは自らノートを差し出したではありませんか」

月の口元が、ほんの一瞬だけ歪められた。

「あれは、周りを欺くための工作さ。あそこでノートを手放さなければ、僕が《キラ》だと宣伝しているようなものじゃないか」

「違いますね」

ニアは、きっぱりと言い切った。

「肉親を自らの手で死地に追いやれるほど、あなたは非情に徹しきれなかった。新世界の神を名乗りながら、その中身は、感情のある人間だったんです。クレイジーな大量殺人犯──とでも名付けたいところですが、その狂気も情に流される瞬間があった。つまり──」

さっきの震えた声ではなく、芯のある強い声音でニアは語り続ける。

「あなたは、《キラ》という仮面もかぶりきれない、弱い人間なんです。弱いがゆえに、正体を誇示せずにはいられない」

「……僕はそんな、弱さなど持っていない。神たる者、完璧でなくてはならない」

「妹さんはまだ回復しておらず、夜神家はバラバラ。あなたの周りに集う者は、狂信者と、おべっかを使って取り入ろうとする輩だけでしょう。邪魔者を排除した、あなたのための世界というのはそういうことだ。。果たしてそれが、望んでいたものなんですか? ようやく今になって、あなたは、気づいたんです──自らの、絶対的な孤独に」

「違う……」

月は、ゆっくりとくずおれた。ポケットから無線機が転がり落ちる。

『──月くん、こちら相沢だ。今どこにいるんだ? 何があったのかわからないが、馬鹿なことだけはしないでくれ、皆心配して──』

ノイズの向こうから、つかの間相沢の声が響いた。次の瞬間、力任せに振るわれた月の拳で、無線機は叩き潰された。

「黙れ! 余計なことを言うな!」

血に塗れた手のまま、何度もコンクリートの床を叩き続ける月。牢獄に閉じ込められた囚人が、強固な檻を壊そうとしているかのような、鬼気迫る形相だった。

「僕が孤独だと? 僕がお前に哀れまれるだと? ニア、例え死神の目が無くとも、僕は拳銃を持っている。お前一人くらい、簡単に殺せるんだ!」

「いいえ、あなたに私は殺せません、なぜなら──」

ニアは、深く息を吸った。

「Lとの攻防で、《キラ》は成長していった。Lの存在こそが、《キラ》を形作っていたんです。既にお気づきかと思いますが、私を殺せば、今度こそLを継ぐ者はいなくなるでしょう。ジェバンニを利用し、お粗末な劇を上演してまで、私を生かさなければならなかったんです……《キラ》というもろい仮面を保つためだけに」

最後の言葉が、放たれる。


「哀れむには──十分な理由ではありませんか?」


──深い夜の底のような静寂が、辺りを包み込んだ。

無言で立つニアの前にくずおれたままの月のシルエットは、懺悔をしている者のようにも見えた。

『──くん、月くん、聞こえているのか? 今、YB倉庫にいるんだな? SPKから連絡があった。ニアとジェバンニも行方不明だそうだが、まさか一緒にいるのか? とにかく今から──』

ゆらり、と月は立ち上がって無線機を壁際に蹴り飛ばし、そして──

「……行け」

と吐き捨てた。

同時に、縄が切られた。蒼白な顔のまま床に倒れこむジェバンニの元に、ニアは駆け寄る。

「──ジェバンニ!」

「ニア、無事で……よかった。あなたがもし死んでいたら、私も……」

ジェバンニは、かろうじて微笑んだ。首に縄の跡が痛々しく刻まれてはいるが、生命には支障ないようだ。

「外に、僕が乗ってきた車がある。鍵は刺さったままだ。それを使え」

拳から滴り落ちる血をワイシャツの裾で拭い、月は言った。

──倉庫の扉が、音を立てて大きく開かれる。

ニアに支えられながら、ようやくジェバンニが立ち上がった。月のほうを一瞥すると、二人はゆっくりと去っていった。

残された月は、深く深く息をついた。人が死ぬ時、最期に吐き出すようなため息だった。

「──結局、僕が求めていた新世界は……そうだな、ニア。あのLとお前だけが、僕という人間そのものを理解してくれていたのかもしれない。だが、そんな泣き言は《キラ》にふさわしくないな……」

「そんなことはありませんよ」

びっくりして顔を上げると、そこにはちょこんとニアが座っていた。

「ジェバンニを返して頂いたお礼をしなくては、と思いましてね。使うのも使わないのも、《キラ》──いえ、夜神月、あなた次第です」 ニアは、小さな箱のようなものを差し出した。

「……ニア……」

さようなら、と小さな声でつぶやくと、そのままニアは扉の外へ出て行った。

まもなく、車のエンジン音が倉庫の中にも響き、それもみるみるうちに遠くなっていった。



「月くん!」

「ニア、ジェバンニ! 大丈夫ですか!」

日本捜査本部と、SPKの一同は、同時に倉庫の中へ踏み入った。

だがそこは、誰もいないがらんとした空間。

拳銃を構えながら、一同は恐る恐る奥へと進んでゆく。

「あ……」

先頭にいたハルがかすかな声をあげ、天井の隙間から漏れる光の下へ歩み寄った。

残されていたのは、ひとかたまりの灰。紙を燃やしたような匂いがした。

──その側には、黒地に白い仮面が描かれた小さなマッチ箱。

箱を取り上げ、不思議そうな表情で首をかしげるハル。

そしてざわめきの中、このもうひとつの劇も、そっと幕を閉じてゆく──。

The End.
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