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帰還
-The last dream-

「Mr.松田が、車に乗りました」

双眼鏡で確認すると、ハルは後部座席に向かって告げた。断続的にカシャカシャという音が響くだけで、返事はない。

「──ニア?」

ため息をついて、後部座席を振り返る。ニアは座席いっぱいを占有し、腹ばいになって寝転がっていた。

手にはルービックキューブ。通常の各面九個パーツのものではなく、なんと六×六、各面三十六個のパーツで構成されている超絶難易度の品だ。

もう一度双眼鏡を覗く。松田の車はみるみるうちに遠ざかっていった。

「あの、Mr.松田をこれ以上監視しなくても良いのですか?」

「……一応、尾行しますか」

ようやく、ニアは答えた。依然としてキューブからは目を離さず、パーツを時々回転させている。

ニアが座席から転がり落ちないように注意しつつ、ハルは車を発進させた。

向こうからは気づかれない程度に距離を離し、海岸沿いを走ってゆく。

にしても──今日のニアの行動は、さっぱり意味がわからなかった、とハルは思う。

「ニアが日本に行くのでボディーガードを」とワタリから連絡があったのが数日前。

ニアと顔を合わせるのも、一年前の麻薬取引事件以来だった。ニアは《キラ》が死んだあの事件の後処理をざっと終わらせた後、チーム"L"の側にはほとんど顔を出さなくなってしまったからだ。

てっきり、あのままチームリーダーとして働いてくれるのかと思っていたのに。

──「私には私のやるべき事があります。チーム"L"は、私一人が抜けたところで揺らぐような組織ではありません」

そんな言葉を残して、ニアは去った。

残されたメンバーには当然戸惑いがあったものの、目の前に次々積み上げられる"L"としての業務をこなしてゆくうち、なんとか新たなチームは形になっていった。時には優秀な人材をヘッドハンティングすることで、更なる高みに上りつつさえあった。二年、という月日をかけて。

ニアの携帯電話が鳴る。

キューブを側に転がし、ニアは面倒くさそうに電話に出た。しばらく後、一言も発しないまま電話を切って一言。

「ハル。ちょっと聞きたいことがあるのですが」

「何でしょうか?」

バックミラーに映るニアの表情は、珍しく真剣そのものだった。《キラ》事件の時と違わぬ、未知の謎に直面した時のあの顔。

「……って、どういう意味の日本語でしたっけ?」

車は、もう少しでガードレールに激突するところだった。

ハルの慌てた表情も、急カーブを切った車の遠心力も気にせず、ニアはもう一度その言葉を口にする。

「”ゴウコン”、です。何か日本特有のイベントらしいのですが……どうしました?ハル」

「え、えーと、その……」

ようやくまた普通に車が運転できる程度に心が落ち着いてから、ハルは回答を素早く頭の中で組み立てた。

なぜこのタイミングで、なぜこの単語なのか、さっぱりわからないままだったが──とりあえず。

「確か、”合同コンパ”の略で、”合コン”だそうです。若い年代の男女が集う親睦パーティーのようなものだとか」

「ハルは、行ったことがありますか?」

興味深そうに聞くニア。

「昔、日本に留学していた時に友人に無理矢理誘われて……」

渋々答えると、ますますニアの顔は輝いた。ニアの知的好奇心が満たされたようなので、少し嬉しくはなった。

その時の顛末。酔っぱらった男性にしつこく絡まれ、身の危険を感じて一本背負いで投げ飛ばしてから逃走したというエピソード……はあまり思い出したくもないのだが。

「それで、合コンが何かの事件に……」

ハルは聞きかけて、はっと口を閉じる。

今のニアは、チーム"L"とはまた別の、独自の捜査路線から数々の事件を解決している。こちらが無闇にニアの捜査に首を突っ込むのは、お門違いというものだろう。

「いえ、Mr.松田が”合コン”に今日行けなかったようなので」

再びキューブをカシャカシャ回転させながら、ニアは言った。

「……は?」

「さきほど、Mr.松田の携帯に、山本という人物から着信がありました。確か日本捜査本部の一員です。それが、今日の”合コン”にMr.松田が来なかったことを残念がる──という内容でして。こちらもMr.松田のスケジュールは把握していたつもりだったのですが、そんなパーティーなのでしたら、悪いことをしましたね」

「……なるほど」

急にものすごい脱力感に襲われるハル。

さっきの電話は、松田宛のものを盗聴していただけだったらしい。

「しかし、Mr.松田のことはうらやましくもありますね。私はそういったパーティーなど、出たこともない」

極度の人嫌い、集まり嫌いのくせによく言うわ、とハルは思った。

あの《キラ》事件の後、慰労を兼ねてSPK内で簡単な食事会でも開きませんか──とレスターが提案した時、ニアはこの世の終わりのような顔をして「それは、私が出なくてはならないものですか?」とつぶやいていた。結局、レスターの押しに負けて会は開催された。

SPKのアジトを使い、食事とワインは近くのレストランにデリバリーしてもらった、とても簡素なものだったけれど。

ジェバンニが一晩で室内のデコレーションをしてくれたり、久しぶりのアルコールに少々酔っぱらったレスターが突然「俺、今日本の”ハイク”が好きなんだ」と一句詠み出したり……本当に、あの晩は楽しかった。

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