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《W》 chose is... 3/3
ワタリの胸ポケットから、上品なメロディーが鳴り響いた。携帯電話へのコール。
カップを置き、すぐに応答するワタリ。
彼ももう七十の坂を越した。さすがにいつまでも自分の側に務めてはいられないだろう。そろそろ、本格的にチームとしての《L》創生計画を推進しなければならない──そんな夢想を打ち消すかのように、通話を終えたワタリが淡々と告げた。
「松田さんです。今、ここの前に着いたのでキーロックを解除して欲しいと」
「ああ、ようやく来ましたか……」
モニターの幾つかを切り替え、ドアの外をくまなく確認する。
全速力で走ってきたらしく、ネクタイを緩めて息を切らせた青年がこちらに手を振っていた。
「まったく、カメラ相手にいちいちアピールしなくてもと思いますが……ワタリ、解除を」
「かしこまりました」
ドアが開くと同時に、青年──松田は、勢い良く室内へ飛び込んできた。
「すいません、遅れました!近くの道路で事故があったらしくてもう渋滞がひどくて!あれから何か変化はありませんか?」
憮然とした顔で、冷めた紅茶を啜る《L》。
「特に。異常といえば、交代の者が時間通りに来なかったことくらいですね」
「本当にすいません!えーと、月君達の様子も相変わらずあのままですか?」
「ええ、まあ強いて言うならば……。ワタリ、松田さんにもお茶をお願いできますか?」
一礼して、ワタリは小さなキッチンのほうへと歩いていった。新しく紅茶を淹れなおすのだろう。
自分も、もう一杯ほどお代わりをもらうことにしようか──と《L》がぼんやり思った時。
「あれ?」
モニターに視線をやった松田が、あるものに目を止めた。
さっきから表示したままだったあの場所。
「これ、外国みたいですけど。芝生が綺麗ですねぇ。それに子供がたくさんいて……どこですか、ここって?」
「別に、あなたには関係のない場所です。ちょっとした趣味のようなものでしてね。気分転換に見ていました」
スイッチに素早く手を伸ばす。流れっぱなしだった《ハウス》の映像は、無機質な室内の映像へと転換された。
「そんな、竜崎ってば冷たいですよー。どこかくらい教えてくれたっていいじゃないですか」
能天気に笑う松田。
ワタリは勢い良く蓋を跳ね上げ始めたケトルの側で、また新しく入った着信に対応している。
松田の分のお茶が入るのには、もう少し時間がかかりそうだ。
「そうですね──」
一つだけ、ヒントを口にする。
「あの曲」
「え?なんの曲ですか?」
「ワタリの携帯電話の、着信メロディー。以上です」
「ええ、あれですか?えーと、絶対にどっかで聞いたことがあるんですけど……有名な曲でしたよねぇ、確かCM……いや、映画?何でしたっけ?ああっもう思い出せないっすよ!もう一個だけヒントって駄目ですか?」
せわしなく頭をかきむしる松田を横目に、ケーキの最後の欠片を口へと放り込む。タイミングを見計らったかのように、ワタリがこちら側へ戻ってきた。
掲げた銀のトレイの上には、湯気の立つポットと、山盛りのスコーン。
「……モニターは切り替えたのですね」
「ああ、すみませんワタリ。別にいつまでも見てなくても、と思いましてね。行こうと思えば、いつでも行けるわけですし」
「そうですな。また二人で行けるよう、スケジュールを調整しましょう」
「まずは目の前のことを全て片付けてから、ですけどね……」
「もう、さっきの場所って何なんですか?いい加減教えてくださいよぉ。竜崎が言った”ワタリの携帯の着メロ”っていうのも、曲名思い出せなかったし……」
スコーンを頬張りながら、松田が口を挟む。
「ほう、私の携帯電話の……ですか。なるほど」
「ねぇ、それで結局何なのか教えてくれないんですか?竜崎も意地悪ですよねぇ」
「松田さん。クイズの時間はもう終わりですよ。引き続き、モニターの監視をお願いします」
「はい……」
たしなめられて少し顔を赤らめつつ、モニターを真剣に見つめる松田。
まだ先は長い。外部で新たな「裁き」が始まり出したかもしれないという、不気味な兆候もあった。
間違いなく、事態はもうすぐ新たな局面へと突入する。そこにどれだけ深い闇が待ちうけようとも、必ず勝たなければならない──そして、この事件が終わったら、必ず……。
遠い地平線まで広がる緑。
大事な家族たち。
直に接する機会はなかなか得られないが、全ての子の名前と顔はいつでもはっきりと脳裏に浮かぶ。
また、帰ろう。懐かしいあの場所へと。
……”Home, Sweet Home”
さきほどの答えをそっとつぶやくと、《L》はワタリと目を合わせて微笑んでみせた。
The End.
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