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Welcome person's name 《M》
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ただ、何も見たくなかっただけだ。
安らげる場所は、そこにしかなかったから。


「マイル=ジーヴァス君だね?」

かけられた声に、小さく「はい」とだけ答えた。

「私はロジャー=ラヴィー。ある養護施設の副管理人を務めている。よろしく」

養護施設。ついに最後の親類縁者までもが俺を──ということだ。意外性はない。最後にあの人たちの顔を見た時に、こういう日が来ることを《読んで》しまっていたから。

「君のテストの結果は素晴らしいね。加えて、その──」

「《読む》力のことですか?俺の周りの人は、エスパーだとか悪霊のしわざだとか、いろいろ言ってるみたいですけど」ロジャーの言葉をさえぎり、俺は吐き捨てた。

「──先に、《読まれて》しまった気分だな。勘もいいようだね。よろしい、率直に言おう」

ああそうさ、こんな厄介者をわざわざ指名してきたってことは、つまり──。

「君を、うちの施設に迎えたい。もちろん君には、この申し出を拒否する権利はある。しかし、他のところよりも、私たちの《ハウス》に入った場合のほうが、恩恵は限りなく多いと思うがね」

ビンゴ。

「……例えば?毎日の食事に固いパンと薄いミルク、まずいプディングが出て、三段組の湿っぽいベッドに寝かされるのが恩恵ですか?」

「どうも、多大なる誤解を受けているようだな」

ロジャーは、ふん、と鼻を鳴らした。

「《ハウス》は単なる養護施設ではない。未来への人材を創出するための場所だ。さすがに子供達全員に個室とまではいかんが──そのあたりの安っぽいホテルよりは、よほど快適な環境だと保証しよう。食事も、英国ではトップレベルだと自負している。君が思うイメージより、はるかによい場所だ」

どうやらこの人物は、よほど自分の《ハウス》とやらにプライドを持っているようだった。こんな七歳の子供にまで、そうむきにならなくともよさそうなものだが。

「もちろん、そればっかりじゃない。子供達一人一人に合わせたカリキュラムを組み、才能をより伸ばすような教育を行っている。君のように優秀な子なら、飛び級で大学への編入もできる。もっとも、《ハウス》内部だけで、大学よりもさらに高度な内容の講義を行っていたりもするのだがね」

以下、しばらくロジャーの《ハウス》賛美が続いた。ワイミーズ・グループによって支えられているので、金銭的にはまったく問題がないこと。大学へ進むとしても、奨学金を無利子で全額援助すること。具体的には挙げられないが、トップレベルの人材を次々と輩出していること──などなど。

「さらに──」

と、十幾つか目の《ハウス》のすばらしい点が挙げようとした時、ロジャーは「ん?」と不審そうにつぶやいた。どこかから聞こえる、振動音。

「すまない、電話が入ったようだ。ちょっと失礼させてもらおう」

はい、こちらラヴィーだが──といった応答が慌しくなされ、閉められるドア。


なぜだか俺は声をあげて笑い出していた。勝手にむきになって喋って、勝手に出て行って……。ロジャーの行動は、大人というより大きな子供を連想させた。

こんな人物を重要なポジションに置いてしまう《ハウス》はよほど変なところだ──という点だけは、十分俺に伝わってきた。

それが良いかどうかは、ともかくとして。


「ジーヴァス君!」

おっと、思いのほか早く電話は終わったようだった。必死に笑いを押し殺す。俺の様子に変なものを感じたのか、ロジャーはまた鼻を鳴らした。だが、さっきの《ハウス》賛美に戻るかと思いきや、彼の次の言葉は思いがけないものだった。

「ちょっと……今の電話の主が、君と話したがっている。少し替わってくれないかね」

「え?」

「いいから、早くしたまえ」

強引に、ロジャーから携帯電話を握らされた。ずっと通話状態になっていたらしい。さっきの笑い声が電話の相手にまで聞こえてしまったとしたら、ちょっと失敗したな──なんてことを一瞬考える。


「──こんにちは。電話……替わりました」

『マイル=ジーヴァス君かい?』

「はい、そうです。はじめまして」

『すまないね、急に。本当ならロジャーの代わりに私が君のところに行って、《ハウス》に入るかどうかの話をするはずだったんだが──』

電話の向こうの人物は、中年の男性のようだった。

『ああ、紹介が遅れたね。私はキルシュ=ワイミー。《ハウス》の管理人だよ。よろしく』

──ワイミーだって?あまりの驚きに、声が詰まった。


「あ、あの」

『何か質問かい?何でも構わないよ。ロジャーの説明は、あまり的確なものじゃなかっただろうからね』

ワイミー氏は、ほがらかに笑った。

「いえ、そういうんじゃなくて。なんで、あなたみたいに有名な人が、わざわざそういうことをするのかなって思って……」

『私の素性を知っているんだね?経済方面にも詳しいようで、ありがたい』

キルシュ=ワイミー。新聞にもしょっちゅう名前が載る、有名な発明家であり実業家。

自らの名を冠した巨大企業、ワイミーズ・グループを率いていて──つまり、世界有数の富豪じゃないか。そんな人が、自ら施設を管理していて、しかも、しかも俺に会いに来ようと思っていたなんて!


「《ハウス》については、さっきロジャーさんが詳しく教えてくれました。世界で活躍するような人達を育てる場所だって。俺──いえ、僕も、そうなれる可能性があるっていうことなんですか?」 『少なくとも、私はそう判断した。だからロジャーに行ってもらったし、今こうして君と話をしている』

ワイミー氏は、落ち着いた語り口で答えた。子供相手と侮るのではなく、対等に話をしたいという意志が感じられる、心地よいトーンだった。

「でも、僕は《読める》だけだし、それだって周りの人は気持ち悪がるだけなんです。《ハウス》に行ったって、きっと何も期待には沿えないかもしれません。だったら、どこへ行ったって変わりはないと思っているんです」

『──君の望みは、なんだい?』

「え?」

ワイミー氏は、もう一度同じ言葉を繰り返した。

『望み、だよ。将来、何になりたい?あるいは、何が欲しい?《ハウス》は、そういう君の意志をサポートする場所なんだよ。君自身が幸せになってくれて、笑って生きていれば、私達は満足なんだ』


──何になりたい?何が欲しい?


そんなの、決まってるじゃないか。絶対叶わないってわかっていたけど、ずっと祈っていたことがあった。二つだけ、あった。

「……ワイミーさん、正直に言っても構いませんか?」

『もちろん、喜んで』


俺は、素直にその二つのことについて喋ってしまった。当たり前すぎて笑われるかな、と思ったけれど、彼は最後まで話を真面目に聞いてくれた。

『──なるほど』

ふうむ、とワイミー氏は深く息を吐いた。何かを考えこんでいるようだった。

『最初のほうは、少し難しいかもしれないな。でも私も、伊達に何十年もこういう職業をやっているわけじゃない。君の希望に最大限沿えるよう、なんとかやってみよう』

「本当ですか!」

段々俺は、ワイミー氏のことを信頼してもいいかな、と思い始めていた。変な能力を持っていて、年のわりにかなりませていたとはいえ──やっぱり当時の俺は、七歳の子供にすぎなかったのだ。サンタクロースの正体に勘づいていても、プレゼントの中身には思わず目を輝かせてしまうようなもの。

『もう一つのほうは、非常に簡単だ。君が《ハウス》に来れば、すぐ叶うよ』

「……本当ですか」

今度の返事は、さっきより少しトーンが下がってしまった。だって、今まで無責任に同じようなことを言う大人に、何人も会ってきたから。

『約束しよう。どっちも、本当に叶えてみせるよ。それが私の仕事だからね』

ワイミー氏は、有無を言わさぬ口調で断言してみせた。

『では、ロジャーにまた替わってくれるかな?君の書類のことで、打ち合わせがまだ少しだけ残っているからね』


──夢の中のような気分で、ロジャーに携帯電話を返した。

さっき言ったことのうち、後のほうはかなり半信半疑にしても、最初のやつは──あのキルシュ=ワイミー氏が請け負ってくれたのだ、ひょっとすると、本当になんとかなるのかもしれない。それだけでもう、十分だと思えた。

十分後。ロジャーの指示するままに、書類に幾つかのサインをした。結構よれよれの筆跡になっていたと思うが、本人なんだし、名前の綴りが間違っていなければ、別に構わないだろう。

「ありがとう。キルシュに替わって礼を言うよ。《ハウス》は、君の事を歓迎する」

ロジャーは、書類をアタッシェケースに納めて力強く蓋を閉めると、そそくさと帰っていった。新しい契約を取ったセールスマンのように。最初から最後まで、あんまり、養護施設の副管理人とは思えない感じの人だった。

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