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Welcome person's name 《M》
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《ハウス》はなかなか大きい建物のようだった。
玄関ホールをくぐり、幾つか角を曲がらされたところで、「ここが中央ホールだ。今、君の荷物を確認してくるから、ちょっと座っていたまえ」と、ロジャーは偉そうに指示を出して去っていった。
手を伸ばすと、冷たい壁に触れた。そのまま、壁に背をもたせかけて座りこむ。さすがに疲れた。
耳を澄ますと、広い空間に時計がチクタクいう音が反響していて奇妙に安らぐ。
ホールには誰もいないようだった。
というのも俺の体調を考えて、《ハウス》に入ってからしばらくは、なるべく最低限のスタッフとしか顔を合わせなくていいよう、ワイミー氏が配慮してくれているとのことだった。規則では二人か三人で一部屋なのだそうだが、俺の場合は慣れるまで個室を割り当ててくれるという。至れり尽くせりだ。
──まあ、別にずっと誰と会わなくても構わないんだけど。
そこに──。
「なぁ。お前、新入り?何ていうの?」
ぎょっとして声の出所を確かめようと振り向いた時、体勢を崩して軽く壁に頭をぶつけてしまった。鈍い痛みが走る。
「うわっ、大丈夫?」
声の主は、慌てて近寄ってきたようだった。
「ごめん、お前、目が見えないんだな。急に声かけたからびっくりさせちゃって──」
「違うよ、目は大丈夫」
「ん……じゃ、なんで両目とも包帯ぐるぐる巻きなの?」
幾度となく受けたこの手の質問にうんざりしつつも、ここまでの流れ上、しょうがなく答える。
「怪我や病気でもないよ──別に、見えたって何もいいことがないから。こないだから、こうやって包帯巻いて外が見えないようにしてるんだ」
「なんで?見えるのがそんなに嫌なの?」
「嫌だよ」
「なんで嫌なの?」
相手が放つ「なんで?」の連続攻撃に、次第に苛ついてきていた。どうせこいつも、《能力》の内容を知ったら俺のことを避けて通るくせに。
「なあ、なんで嫌なの?教えろよ」
苛つきが、臨界点に達した。もういいや、と頭のどこかでもうひとりの自分がつぶやくのが聞こえる。きつく止めた包帯を、強引に上に引っ張り上げて取り去る。目の前の相手がびくっとするのがわかった。
──何日ぶりかの、外の世界。
瞼を通して入りこんでくる日光に耐えながら、徐々に目を開けた。
同い年くらいの少年が、目をまん丸にしてこちらを見つめていた。肩のところくらいで揃えられた金髪が、揺れるたびにまばゆい光を反射する。
奴がまた口を開く前に、俺は始めた。たった一言だけ、刺激してやればいい。
「最近、『何か』した?」
「え、え?」
質問は、曖昧であればあるほどいい。人間はつい余計なことまでを考えてしまう習性があるからだ。あっという間に、そいつの顔面には《標識》の竜巻が飛来した。吐き気を堪えて、その渦の中で一番激しく点滅しているものを《読んで》みる。
「……《数学》」
「あ?」
「《式》……《嫌悪》。ああ、君、数学が嫌いなんだろ。今、みんな教室にいる時間のはずなのにホールに来てるってことは、エスケープ?」
奴の目が、大きく見開かれた。ちょっとだけ爽快なものがある。
「あとそれから、たぶん《昨日》、《庭》の《花》を引っこ抜いて遊んだ。それはすぐ見つかって叱られたけど、温室の植木鉢、一個落として壊して隠したのはまだ誰にもバレてない」
奴の口も、ぽかんと開かれた。
はい、終了。
「じゃあな。さっさと教室に戻りなよ」
俺は目を閉じた。久しぶりに自分から《読んで》みたせいで、少し頭痛がする。
「ええっ、今の何?なんでお前が俺のこと知ってんの?魔法?もしかしてエスパー?超能力者?」
もう、説明するのも面倒なので無視していると、肩を掴んでぐらぐら揺さぶられた。
「おい!ちょっとくらい種明かししてくれたっていーじゃん!」
黙っていれば大人しそうに見えて、このしつこさは異常だった。《読む》までもなく、こいつの全身には興味と好奇心がみなぎっている。俺が《読んで》みせると、普通は怯えて固まってしまうだけなのに。
「種なんてなんにもない。俺は《読める》んだ。それだけ」
「何を?俺の顔に何か書いてあるっていうのか?」
ようやく俺の肩から手を離すと、奴は疑わしそうに問いを重ねた。
「喋ってなくても、表情だけでわかってしまうことってあるだろう?楽しいとかつまらないとか、そういう内面の言葉が出てることが。それをもっともっと細かく、《読んで》いくと、本人が隠しているつもりのことが丸見えになっている──さっきのお前みたいに」
「ふーん、俺も訓練したらお前みたいになれんの?」
無遠慮に、こっちの目をじろじろ覗きこまれた。相手の顔をまともに見ないよう、そっとうつむく。
「難しく言うと表情筋とか顔面の血流とか、そういうのの変化を『普通の』人間より何千何万倍もよく見分けられるんだってさ。生まれつきの目と脳の問題だから、訓練しても無理」
「無理なのか……面白そうなのにな」
俺は何も答えず、目を閉じた。
「なあ、もっと《読んで》くれない?」
「嫌だ」
さっきほどいてしまった包帯を、なんとか巻き直した。止め具がどこかに行ってしまったので適当な縛りかたになってしまったのが少し悔やまれる。
「俺でもいいし、他の奴のことも《読んで》みてほしいし……何考えてるかわかんない奴とか、いてさ」
「絶対に、嫌だ」
また俺の肩に手が伸ばされようとした時、ようやくあの人が戻ってきた。
「ちょっと待たせたが、君の部屋の仕度も終わったよ。おや、包帯が緩んでいるみたいだが……何かあったのか?」
俺はうつむき加減のまま、ロジャーの服の袖につかまった。
「メロ!」
ここで初めて、ロジャーの鋭い声が飛んだ。
「授業のエスケープは規則により、罰点一だ。昨日のチューリップのことと合わせると、これで今週は罰点ニだな。この子にも、これ以上ちょっかいを出さんでくれ」
「俺はそいつに何もしてませんよ?ロジャー先生。一人で不安そうだったから、ちょっと話をしただけです」
「先生」の部分をやけに丁寧に発音する、奴──どうやら名前はメロ、らしい──の顔が頭の中で映し出された。
「ならいい。それから、この子のことはしばらく黙っておくように。《ハウス》に十分慣れるまで、他の子供とは接触させないことになっている。もちろん、メロ、お前にもだ。この子はまだ、たくさんの人といっぺんに会ったりするのは無理だからね」
「なんで、みんなと会っちゃいけないんですか?さっき聞いたけど、別に怪我とか病気じゃないって言ってました」
しつこく食い下がるメロ。
「そこまでは答えられない。彼のプライバシーに関することなのでね。さあ、行こう」
ロジャーは「さあ」と再度うながすと、俺の背中を軽く押して歩かせ始めた。
「なんで……」
メロの声が、少しずつ遠ざかってゆく。さようなら、質問魔。
「──だったら、例えばこうしたらどうなるんですか?」
そうメロが叫んだ後、俺は思いっきり頭から転んだ。ロジャーが乱暴に、手を振り払ったからだ。目の前で起きようとしたことを、止めるために。
結局、ロジャーは奴の──メロの極めて素早い行動に、何一つ追いつくことができなかった。
不意にまた後ろから引っ張って取られてしまった包帯と、開けた視界。
続いてホールを、いや《ハウス》全体を満たす、極めて威圧的なベルの音。
メロは壁際にいた。
真っ赤な火災報知器のボックスの、警報ボタンを押した姿勢のままで。
ロジャーがメロに対して口を開くよりも早く、ホールに面した全てのドアから、すばらしい速さで人が飛び出してきた。スタッフからここの子供達まで、つまり「みんな」が。
数十名の視線は、当然ながらメロとロジャーと──俺に、向けられた。
《何》《何?》《誰》《誰?》《あれ/誰?》《知らない》《誰?》《知らない/子供》《音》《警告》《火事》!危険火事危険警告知らない子供誰がやったのベルはまだ鳴っている避難しなければならない大変な何でこんなことに──!
人々の、内面のパニックが凝縮されて俺の頭の中に流しこまれる。数十人分、つまり数十倍の混乱が脳をくまなく、激しく蹂躙した。拒否しようとしても、あまりのことに目が見開いたまま閉じてくれない。全身の血が逆流するような、熱いような、寒いような──。
「おい、しっかりしろ!」
ロジャーのそんな声がした気がしたが──先生、あなたはまた遅かったようです。
意識は、そこでぷっつり途絶えた。
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