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偽のノートは、僕達の目の前で勢い良く燃え上がっていた。

熱でページがめくれ、無数の名前が見え隠れする。あの日に書かれた部分……《松田桃太》という名前も、一瞬見えたような気がした。

「私が、そちらを取り出しましょうか?」

「いえ……僕がやります」

腕時計のスライドした底板から、問題の紙片をつまんで取り出す。二つに折りたたまれている。恐る恐る広げてみたところ、表も裏も、何も書き込まれてはいなかった。

ニアは、黙ってうなずいた。軽くうなずき返す。

僕の手を離れた紙片は、灯りに集まる蛾のようにひらひらと炎に向かって飛び──刹那、生き物のようによじれながら、あっという間に燃えつきた。

ニアも僕も、一言も発しなかった。何分もしないうちに、偽のノートのほうも一すくいの黒っぽい灰と化した。床からは幾筋か細い煙が立ち昇っていたが、それもみるみるうちに薄くなり、消えた。

「……終わりましたね」

それだけ言うと、ニアはどこかからか携帯電話を取り出した。まったく、何でも出てくる魔法のパジャマだ。いやそもそも、あれがパジャマなのか普通の服なのか、僕には判別できないのだが……。

ボタンを幾つかプッシュし、じっと画面を見つめるニア。最初に言っていたとおり、ハルに迎えに来てもらうよう指示を出しているのだろう──と思った瞬間。

風が、吹き抜けた。

潮の香りがぎゅっと強くなる。倉庫の正面シャッターがいつの間にか、全開になっていた。

風は屋内をくるくる回りながら、さきほどの燃えカスを残らず外へ跳ね飛ばしていった。ぽかんと口を開ける僕の足元の床には、およそ三十センチ四方が黒く焦げた跡が残るのみ。

「遠隔操作で、シャッターを開けました。じきにハルも到着します」

何事もなかったかのように告げるニア。

ちょっと待て、シャッターを開けるならそこの壁にボタンがあるじゃないか……というツッコミは、どうでもいいことなのかもしれない。この、最初から最後まで座りっぱなしだった探偵には。

「それでは、どうぞお帰りください」

ハルが来るまで立つ気などさらさらないらしい彼に、僕は最後の疑問を投げかける。

「僕が持たされていた切れ端……本物だったんでしょうか?」

「でしょうね。偽物に記入させても、この場合はあまり意味がありませんから。ひょっとして、燃やす前に試してみたかったですか?」

「そんなことは……」一年前、伊出さんの前で話していたことが、脳裏をよぎった。

──「ニア、絶対魅上を殺してますよ」

ニアは、デスノートが本物かどうか、試したことは本当にないのだろうか?

もしかすると、YB倉庫に来る前の魅上の行動を、ニアがデスノートで操っていたのではないか……という僕の推理。

「私だったら、試してみたかもしれませんね──時と場合によりますが」

驚愕で、心臓が止まりそうになった。まさかこの人、超能力者じゃないだろうな……!?

「場合、というのは、死神の目を持つ者がいるケースです。あの陽気な死神によると、死神の目を持つと名前と残りの寿命が見える──といいます。誰かの寿命を知りたい場合、デスノートで死神の目を持つ者を操って、どこかにそれを記入させる。普通、そこまでして知りたいものでもないですが」

「ニアは……寿命なんて、知りたいんですか?」

「私は、人生の残り時間がわかっているほうが好きです。一日一日を無駄にして生きているつもりもありませんが、あとどれだけの時間があるのか知っているほうが、より有効に計画を配分できますから」

……やっぱり、いい奴だと思ったのは間違いだったかもしれない……なんだか気が抜けたまま、僕は立ち上がった。

「それじゃ、僕はこれで……」

「あ、松田さん」

ニアは、珍しく慌てたように言った。

「今の話は、冗談ですよ。何しろ、死神に実際に会うまで、そんな”寿命が見える”なんてルールも知らなかったんですから」

考えてみれば、そうだったっけ。一体今日だけで何回、他人の言葉に翻弄されてるんだか。「そういう影響されやすいところは、良くも悪くもお前だよな……」という伊出さんのずっと前の発言は、生涯に渡って僕に適用されるような気がする。

一礼して、倉庫から立ち去ろうと思ったその時。

「でも」

思わず振り返る。

「顔を見れば殺せる能力がある、というのなら、その人物からこちらがどう見えているのか、通常の人間には見えないものでも見えるのか、という好奇心がまったくなかったか──と言ったら、嘘になりますね」

突然、ある箇所のピースがかちりとはまる音が頭の中に響いた。偽のノートを燃やした理由は、まさか……。

「あの偽ノートに……」思わず言葉が溢れ出す。

「松田さん、どうかしましたか?」

「仮に魅上に、誰かがデスノートで『魅上照ノートを偽と疑うことも本物かどうか試すこともなく、指定した時間にYB倉庫に来て……』と、行動を指示したとします」

「……そうですか、デスノートに魅上と書いたのが”誰か”はさておき、続きを拝聴しましょう」

やる気のなさそうなニアだったが、走り出した僕の推理は止まらなかった。

「そこに、『倉庫内にいる者について、本名以外にも、自分にしか見えないものがあれば手元のノートに書く』とでも追記すれば……死神の目でしか見えないデータが、あの偽のノートに書かれるのでは?後はノートを回収して、その内容を読めばいい」

ニアの表情は微動だにしなかった。「お前はデスノートを使った!」と決め付けられたも同然に関わらず。

「それで、どうしましたか?」冷静に聞くニア。

「……いえ、どうもしません」ああ、僕は勝手にまた失礼極まりない発言を……。どうしていつも、こうなってしまうんだろう。

「あなたに、”Curiosity killed the cat.”……”好奇心は猫を殺す”、ということわざを進呈しましょう。デスノートを拾った時の《キラ》が、最初、好奇心から誰かの名前を書き込んだであろうことを想像してください」

「はい……」

「第一、あの時に魅上が記入したページを、皆さんに見せたでしょう」

「……そうでしたね」

「もし仮に他のページに書かせたのだとしても。あの時、名前を書かれたのは八人。魅上と夜神月、私の会話の長さを差し引くと、魅上がノートに何か記入できたのは、実質二十秒未満でしょう。八人分の名前を書くのでさえかなりギリギリですし、その上他のデータまで、となると。どうですか?」

まったく隙のない論理。なんだか、あの《L》と初めて会った時のことを思い出した。いきなり本名を名乗った僕達に、「バーン」と鉄砲のジェスチャーをした彼。

「ニア。ちょっとだけ、《L》に似てますよ。あなたは」

「そんなことはありません。今、《L》の業績を研究している最中ですが、知れば知るほど、あの人に追いつくのが不可能であるとわかります」

僕としては最大級の賛辞だったのだが……会話は、ぴたっと途切れた。

それにしても。ニアの「外見だけが成長していない」という点は、終始異常な雰囲気をかもし出していた。時が、その人の中で止まってしまっているような。見えない薄いスクリーンで、ぺたりとお互いが仕切られているような距離感。

出口のほうから、車の軽いブレーキ音が響いた。僕がぐだぐだ喋っている間に、ハルが到着したらしい。

「では、松田さん」ニアがようやく立ち上がり、イメージに違わぬのろのろした足取りで歩いていった。一緒に表に出ると、黒塗りの車の運転席から、ハルが軽くこちらに礼をした。ニアは悠然と、後ろの座席に乗り込む。

「言うまでもないでしょうが、今日のことは内密にお願いいたします」

「……ですね」

自分の腕時計に、世界を変えかねないものが仕込まれていたなんて、早く忘れたい。いや、忘れよう。

車のドアが閉まった。かと思うと、後部の窓が数センチだけ開いた。ニアの目が覗いている。

「松田さん、さっきのあなたの推理ですが」

「あれも、内密にお願いします……」

顔から血の気が引いた。運転席のハルに知れたら、そのまま関節技を決められても文句は言えない内容だ……。

一年前の麻薬取引事件で、彼女がここでどれだけ活躍したか、よく覚えている。いい意味でも、逆の意味でも。

「九十パーセント」

「え?」

「百パーセントまで、少しだけ足りませんでしたね。”死の直前までの行動を操れる”わけですから、名前を書き込むための時間など関係ない。”名前を書き込んでから指定した時間を挟み、その場で使えるものを最大限利用して、ただし周囲には絶対気取られないような方法を考えて”とでもしておけば、獄内のどこかか、それとも魅上の遺留品か──何かに、残る可能性があるかもしれないと思いませんか?」

「ニア、あなたは──」

答えはないまま、窓は閉められた。びっくりするような速度で車は走り去ってゆく。

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