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Observer's name:1章 2/2
そして、俺はジーンズのポケットから携帯電話を取り出す。*を三回プッシュしてから、六・三・五・五・六と入力──一瞬のノイズの後、しばらくコール音が続き──。

『終わったのか?』

快活な声が伝わってくる。

「ああ、終わった」

電波に乗って、愉快な笑い声が返ってきた。子供が上手く悪戯をなし終えた時の、心底嬉しくてたまらない──少々の意地の悪さも混じった、あの響きで。ああ、お前のこれを聞きたくて、俺は生きているのに違いない。《ハウス》を捨てて。《標識》の洪水に溺れそうになるこの街で。

『損害は特にないか?』

「ない」

『そうか、ならいい。切るぞ』

「あ、ちょっと待った」

『……何だ、忙しいから用件は早く言ってくれ』

「──やっぱりいい、後で報告する」

『わかった』

極めてあっけなく、通話は切られた。まあ、別に今あせって話すことでもないからいいだろう。

俺は銃を持って突っ立っている連中に、帰還手順を手早く伝える。今の電話で特に何も指示されなかったということは、いつものルートが無事に使えるはずだ。奴らは各々軽くうなずくと、先ほどと同じように素早く去っていった。

さて、しばしの沈黙。

暖炉の薪が爆ぜる音のみが響いている──おっと、そういえば。俺はさっきのことを思い出して向き直る。

真っ白な猫は、黒檀のテーブルの下でぶるぶると震えていた。返り血を少々浴びて毛並みが多少ピンクがかってはいるが、怪我はないようだ。よしよし。しばしの抵抗の後、案外大人しく猫は俺の腕の中に納まった。

俺は思う。例えば郵便で荷物が手元に届いた時、受取人が真っ先に気にするのは、「誰が持ってきたか」ではなく「荷物の中身は何なのか」なのだと。さっき穴だらけにされたあの男も、そういう人種だった。俺の名を聞くこともなく、中身だけを受け取ってジ・エンド。つまらない人生だ。

俺はマット──《観察者》。あらゆる生物が発している《標識》を「認識し」「読む」、唯一無二にして出来損ないの能力者。《L》を継ぐことも、他の何にもなれず、《ハウス》を脱落した男。

今の身分はといえば、マフィアの組織におけるNo.2、アンド指名手配犯、といったところ。どこにいるのかさえわからない両親がもし聞いたら、泣いて喜びそうな状況だ。

しかし俺は俺の人生を肯定するし、なおかつかなり気に入ってさえいる。

俺が地球上でもっとも愛しているといってもいい人間──さきほどの電話の相手──も、己を肯定することでしか生きられない奴だからだ。奴はエゴイストで、肥大しきったプライドの持ち主で、どうしようもなく子供じみた悪癖を幾つも抱えている。その全てをこちらに見せつけながら、俺を拒絶しないで生きているのだ。ほとんどこれは奇跡に近いのだろう。

猫の主人だった「もの」が寄りかかっているソファーに向けて、俺は一礼し、部屋を出ていく。

猫を抱いたままで。

それでは。

《M》──《Mello》のメッセージを、確かにお伝えしました。

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